注目すべきは,この慣習が日本特有のものだという点である。
「社葬」にあたる英語を和英辞典で調べてみると,「a company-sponsored funeral」といった訳語が示されている。しかし,実際にこうした英語が使われているのかどうかを調べてみると,その実例は見つからない。これはあくまで「社葬」の内容を説明した英語の解釈であって,海外には,社葬にあたるものは存在しないのだ。
日本の企業社会では,経営者は会社の顔としての役割を果たす。創業者ともなれば,一代で企業を大きくした功績が認められ,社会的に高い評価を得る。その点で,カリスマ的なトップの死は1つの事件であり,ときには社会全体の大きな話題となる。
その人物が亡くなると誰が後継者となるかが大問題となる。それは企業の信頼性に関係する。十分な能力をもつ後継者があらわれなければ,企業そのものへの評価が低下し,ひいては業績にも影響が出る。
したがって,その会社の社葬は,取引先に対して,さらには社会全体に向かって,後継者の披露の機会ともなる。後継者が喪主をつとめることも多い。立派な葬儀をあげられるかどうかによって後継者の評価も変わる。
そうである以上,たんに葬式をあげるだけでは不十分で,亡くなった前経営者の業績を讃えつつ,死後も会社が安泰であることを示すにふさわしい葬式を営まなければならない。そこに社葬の意義がある。
島田裕巳 (2010). 葬式は,要らない 幻冬舎 pp.28-29
PR