カーネマンとトヴァスキーの研究に弾みをつけたのは,あるランダムな事象だった。1960年代の中ごろ,当時ヘブライ大学の新参の心理学教授だったカーネマンは,いささか退屈な仕事を引き受けることに同意した。それは,イスラエル空軍の飛行教官たちに行動修正の理論と,飛行訓練へのその応用について講義するという仕事だった。カーネマンは,前向きな行動に報酬を授けることは効果をあげるが,失敗を罰することはそうではないことを,十分納得いくように説明した。ところが,受講生の1人が言葉を返してつぎのような意見を述べた。そしてこのことがカーネマンにあるひらめきをもたらし,以後何十年ものあいだ,彼の研究の指針となる。
「私は,見事な操縦には,訓練生たちをしばしば暖かく褒めてきましたが,すると次回は決まって悪くなります」と,飛行教官は言った。「また下手な操縦には生徒たちを怒鳴りつけてきましたg,おしなべて次回は操縦が改善されます。ですから,報酬はうまくいくが罰はそうではない,などと仰らないでください。私の経験はそれとは合致しません」。他の教官たちもみな同意見だった。カーネマンには,飛行教官の経験は真実であるように聞こえた。しかし一方でカーネマンは,報酬は罰よりもうまくいくことを証明した動物実験を信じていた。
彼はこの明白な矛盾をあれこれ考えた。そして突然ひらめいた——怒鳴ったあと改善が見られることは確かだが,見かけとは違い,怒鳴ったことが改善をもたらしたのではないのだ,と。
どうしてそんなことが?その答えは,「平均回帰」と呼ばれる現象にある。平均回帰とは,どんな一連のランダムな事象においても,ある特別な事象のあとには純粋の偶然により,十中八九,ありきたりの事象が起こる,というもの。
レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.13-14
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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