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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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2人とも女である確率は?

 この双子の問題では普通つぎのような追加の質問がなされる。<2人のうち1人が女だとすれば,2人とも女である確率はいくらか?>。この問いに対して以下のように推理する人がいるかもしれない。2人のうち1人が女なのだから,目を向けるべきは残る1人,その子が女である確率は50パーセントだから,2人とも女である確率は50パーセントである,と。
 これは正しくない。なぜだろうか。問題文は1人が女だとしているが,<どの>1人かを言ってはいない。このことが状況を変える。混乱するかもしれないが,それはそれで結構。なぜなら,それがカルダーノの手法のパワーを示す格好の例であるからだ。カルダーノの手法が推論の仕方を明確にしてくれる。
 その新しい情報——2人のうち1人が女,という情報——は,2人とも男であるという可能性をわれわれが考慮しないでよいことを意味している。だからカルダーノの手法を使うとき,<男,男>という可能な結果が標本空間から除外される。そして標本空間には3つだけ,可能な結果が残る。<女,男>,<男,女>,<女,女>だ。これらのうちの<女,女>だけが好ましい結果——つまり,2人とも女という結果——だから,その各率は3分の1,あるいは33パーセントである。これで,問題文が<どの>1人が女であるかを特定しなかったことが,なぜ問題なのかを理解できると思う。たとえばその問題が,<最初に生まれてくる子が女だと仮定すれば>2人とも女である確率はいくらか,を尋ねていたとるれば,<男,男>と<男,女>が標本空間から除外されていただろうから,各率は2分の1,あるいは50パーセントということになっただろう。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 p.82
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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