同様の問題は,運動選手の薬物問題でも起きる。ここでもまた,頻繁に取り上げられるはずが直接関連ない数字が偽陽性率である。この数字が,選手がクロである確率の見方をゆがめてしまう。
たとえば,世界的なランナーで1983年の1500メートルと3000メートルの世界チャンピオンだったメアリー・デッカー・スラニーは,カムバックを目指していた1996年のアトランタ・オリンピックで,テストステロン使用のドーピング違反で告発された。国際陸連(2001年から正式に「国際陸上競技連盟」として知られている)は,いろいろ討議した末,スラニーがドーピング違反をしたと裁定し,実質的に彼女の選手生命を絶った。スラニー裁判でのいくつかの証言によれば,彼女の尿に対してなされた検査の偽陽性率は1パーセントだったという。たぶん人びとはこの数字を聞いて,彼女がクロである確率は99パーセントだと納得したことだろう。
しかしすでに見てきたように,それは真実ではない。たとえば,1000人の選手が検査され,10人に1人はクロなのだが,検査によってドーピング違反が暴き出される各率は50パーセントだったとしよう。すると,検査された選手1000人ごとに100人がクロになったはずだが,実際にはそのうちの50人だけが検査でクロにされただろう。一方,偽陽性率は1パーセントだったから,潔白である900人のうち9人がクロとされただろう。したがって,このドーピング陽性検査だと,彼女がクロである確率は99パーセントではなく,84.7パーセント[59分の50]だったことになる。
表現を変えると,あなたはこの84.7パーセントという証拠にもとづきスラニーはクロだと確信するだろうが,その確信の程度は,スラニーがサイコロを振ったときたぶん1は出ないだろうというあなたの確信の程度[6分の5]とほぼ同じだ。確かにこの数字は合理的な疑いを催させはするが,それ以上に重要なことは,大量の検査を行い(毎年9万人の選手が尿検査をされている),このようなやり方にもとづいて判断していくと,それによって多数の潔白な選手が糾弾されてしまうことだ。
レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.176-177
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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