フランス革命前,ラプラスは王立砲兵隊の審査官という実入りのよい地位を手にし,また幸運なことにナポレオン・ボナパルトという名の,先行き有望な16歳の志願者を審査した。1789年にフランス革命が起きると彼は少しの期間嫌疑をかけられたが,他の多くの者とは違い無傷で浮かび上がると,「王室への抑えきれない嫌悪」を宣言し,ついに共和制国家から新しい特権を手に入れた。
しかし,ついで1804年に知り合いのナポレオンが皇帝になると,彼はただちに共和主義をかなぐり捨て,1806年,伯爵の称号を与えられた。ところがブルボン家が戻ると,ラプラスは自著『確率の解析的理論』の1814年版で,ナポレオンを叩き,こう書いた。「広範な統治を熱望する皇帝たちの衰退は,確率の計算に精通した者により,非常に高い確率で予言することができる」。ちなみに,その前の1812年版は「ナポレオン大皇帝」に献呈されていた。
レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.183-184
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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