そのようなパターンが意味をもっている場合もあるし,もっていない場合もある。が,そのいずれであれ,われわれのパターン認識は非常に説得力をもっていると同時にきわめて主観的であるという事実は,深刻な意味を有している。それは一種の相対性を,つまり,ファラデーが見いだしたように,リアリティは見る目の中にあるという,1つの状況を意味している。
たとえば2006年の『ザ・ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』誌は,変形性膝関節症の患者についての1250万ドルの研究結果を載せた。その研究は,グルコサミンとコンドロイチンという栄養補給サプリメントの組み合わせによる関節炎の痛み軽減効果は,プラシーボ[偽薬]と変わらないことを明らかにした。しかしある高名な医者は,そのサプリメントが効果的であるという自身の思いをなかなか捨て去ることができず,あるラジオ番組でその研究結果を分析し,つぎのように言って,その治療法が効果をあげる可能性があることをふたたび主張した。「私の妻のかかりつけのお医者さんの1人がネコを飼ってて,その女医さん,このネコ,グルコサミンとコンドロイチンの硫酸塩を少量飲まないと朝起きられないと言ってますよ」。
レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 p.257
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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