人事における決定権は,いくつかの理由で,ラプラスがほのめかした予測可能性の要件を満たしていない。第1に,われわれが知るかぎり,社会は物理学のように明確な基本的法則に支配されてはいない。逆に,人間の行動は予測不可能であるだけでなく,カーネマンとトヴァスキーが繰り返し示したように,(自身の最善の利益に反する行動をとるという意味で)不合理である。第2に,たとえわれわれが人事の法則を発見したとしても,ケトレーが試みたように,世の中の状況を正確に知ったりコントロールしたりすることは不可能である。ローレンツ同様,われわれは予測するのに必要な正確なデータを手にすることができない。そして第3に,人事はこのうえなく複雑だから,たとえわれわれがその法則を理解しデータを手にしていたとしても,必要な計算を行えるかどうか,疑わしい。だから決定論は,人間の経験に対してはお粗末なモデルである。ノーベル物理学賞を受賞したマックス・ボルンが書いているように,「偶然は因果よりも,より基本的な概念である」のだ。
レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.288-289
(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)
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