ではわたしたちは現実から目をそむけたがる最悪の本能をどうやって抑制すればいいのか?何よりもまず,警告を出す側が,敬意を持って私たちを遇すべきである。警告が単に何をすべきかではなく,なぜそうすべきなのかを説明している例がめったにないのは驚くべきことである。いったんこの問題に気づけば,いたるところでそういう例を見かけるだろう。実際のところ,人々が危険度を測りまちがえるのは,第1に,わたしたちを守る任務についている人たちの,わたしたちに対する不信感が広く浸透しているからだとわたしは思う。彼らは「果ての国」のわたしたちの護衛者であるのに,わたしたちときちんと向き合っていないことがしばしばなのだ。
たとえば,酸素マスクが飛行機の天井から落ちてきたら,どうやってそれをつけるかを客室乗務員が説明するのを聞いたことがあるだろう。「ほかの人たちを手伝う前に,ご自分のマスクをしっかりつけてください」と,警告される。だが客室乗務員はなぜそうすべきかを伝えない。急速に気圧が低下している場合にそういうことを言われるのを,想像してもらいたい。意識を失うまでに10秒から15秒しかないだろう。つまり,そういうことなのだ。そのときはじめて,自分の子供を手助けする以前に,なぜ自分のマスクをつけるべきなのかわかるかもしれない。まず自分のマスクをつけないと,「これ,何の役に立つの?」などと言う暇もなく,親子ともども意識を失うことになるだろう。たちまち警告が煩雑な法律用語のようではなく,常識的な意味合いを帯びて聞こえてくる。そうなれば動機づけになる。
アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.97
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