普通,人間は二元的な思考をする。たとえば何かが起こるのだろうか,起こらないのだろうか。それは自分に影響を及ぼすのだろうか,及ぼさないのだろうか,などと。だから転倒による死の可能性は10万分の6だと聞けば,「わたしの身には起こらない」と決めつけて,そのリスクを棚上げしてしまう。実際には合衆国の不慮の死のなかで転倒は(車の衝突事故と中毒に次いで)3番目に多い死因であっても。これにはグラント・シールの話をすればはるかに説得力があるだろう。3歳の男の子グラントは,2007年2月に自宅で遊んでいて転倒し,花瓶にぶつかって怪我をした。そのときの怪我がもとで,よちよち歩きの幼児は死亡した。あるいはパトリック・ぜゾースキーの話はどうだろう。19歳のパトリックは,自宅付近を歩いていてグラントと同じく2月に転倒して頭を打った。彼の場合は,その場で死を宣告された。こういった死は,比較的よく起こるという事実があるにもかかわらず,ニュース記事ではたいていいつも「変わった事故」だと評される。
アマンダ・リプリー 岡真知子(訳) (2009). 生き残る判断 生き残れない行動:大災害・テロの生存者たちの証言で判明 光文社 p.101
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