クッシング病院の精神科は,ボストン精神分析協会の影響を色濃く受けていた。「患者に見られる事柄がすべて奥深く暗い,目に見えない力という観点から解釈された」。あるときベックが「所見の定式化はこじつけで,実証されていない」と友人たちに言うと,自分自身が抵抗を感じているから事柄を理解できないのだと指摘され,ベックはその指摘を受け入れた。「私の心にはそれがまったく見えていないのかもしれないと思いました」。自分の実用主義的な性格が邪魔して,精神分析が直感に反していると思うのかもしれないと考えたのである。そこで自分の不信感をとりあえず棚上げにし,本気で精神分析を理解してみることにした。6ヵ月間の実習期間が終了したとき,ベックはそのまま精神科に留まる決心をした。長く続ければ,さらに的確な考察ができるようになると信じたからである。また,精神分析専門医が楽々と診断をする手際にも魅了された。精神分析は「すべてのことに答えを持っていたのです。精神病,統合失調症,神経症,その他どんな状態も理解できる。正しい,明らかに正しい精神分析的理解をすることができました。さらに精神分析は,たいていの患者に病状を改善できるという望みを与えるものでした。とても刺激的に思えました」。
マージョリー・E・ワイスハー 大野 裕(監訳) 岩坂 彰・定延由紀(訳) (2009). アーロン・T・ベック:認知療法の成立と展開 創元社 pp.39
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