過去の災害経験が,個人やコミュニティに,新たなる災害への免疫をもたらすという事実は,これまで多くの人々によって,繰り返し指摘されてきたところである。
だが,この種の免疫は,心理学の言葉を使うと「般化」しないのである。免疫効果が災害因の枠を越えて拡大しない。
たとえば,洪水に対して被災経験がある場合についてみると,洪水の被災経験のある人は,新たな洪水に対しては,ある程度の自信をもって切り抜けられるとしても,津波や地震に対してはその経験は役に立たないし,自信ももてない。かえって,被災経験がアダとなって害を及ぼす場合さえある。
また,洪水の被害に繰り返し遭う場合のように,過去に経験したのと同じ災害因に出会う場合でも,災害の規模やその発生のしかたが過去と著しく異なる場合には,せっかく獲得した免疫もほとんど役に立たない。
これは,私がある放送局のディレクターから聞いた話だが,
「2000年の8月の愛知県の岡崎の豪雨では,不幸にして3人の死亡者が出た。その中の1人は,キッチンの流しの上で難を逃れようとしたが,水が天井まで達したために,犠牲となってしまった」
という。
この人は,2000年の東海豪雨のときにも,同じように流し台の上に避難したそうである。この時には,水は首のあたりにまで達したが,それ以上,水位は上がらなかったそうで,そのときの成功経験が災いしたのではないかという。そのようなことも,現実にはあるのだ。
広瀬弘忠 (2009). どんな災害も免れる処方箋:疑似体験「知的ワクチン」の効能 pp.143-144
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