医者は患者に嘘をつくべきではないから,プラセボ効果を当然のように利用するわけにはいかないという著者たちの立場は,厳格すぎると思う人もいるだろう。実際,われわれの立場に反対する人たちは,象牙の塔の住人が言いそうな倫理を振りかざした理屈よりも,嘘をつくことで得られる受益性のほうが大きいと言う。そういう人たちは,患者の健康のためならば,罪のない嘘をつくぐらいは許されると思っている。それに対してわれわれは,こっそりプラセボ効果を利用することが当たり前になれば,医療に詐欺文化が広まり,医療という職業が蝕まれていくもとになると反論したい。もしもホメオパシーのようなプラセボ効果に頼った薬を処方したら,医療はどうなったものになるか考えてみよう。
1 医師はホメオパシーには中身がないことがバレないように共謀して口をつぐまなければならない。医師は誰ひとり,「王様は裸だ」と言うことを許されない。それを言えば,ホメオパシーのプラセボ効果が台無しになるからだ。
2 医療研究者は病気を理解すること,つまりその病気の原因と治療法を探ることが仕事なので,その共謀関係には加わらないだろう。進歩の名において,そして名誉にかけて,今日得られている研究結果は,ホメオパシーを支持しないと指摘するだろう。
3 ホメオパシーの処方薬は,ちょうどゲートウェイドラッグ(より強い麻薬にのめり込む入り口となる弱い薬物)のような役割を果たし,患者に理屈では説明できないほかの治療法も試してみようと思わせる。デーヴィッド・コフーン教授は,油断のならないホメオパシー・レメディの危険性を,次のように巧みに言い表した。「ホメオパスのくれる砂糖粒には何も含まれていないのだから,体には毒にならないだろう。むしろ危険なのは,人の心を毒することだ」
4 親は子どもを守ろうとして,ワクチンなど,命を守る医療介入を勧める科学者の言葉を無視し,ホメオパスが勧める代替の(そして効果のない)方法を用いるかもしれない。啓蒙の時代が始まってから2世紀の進歩を経た今になって,《科学的根拠にもとづく医療》から撤退するという決断を下せば,新たな蒙昧の時代へと逆戻りしかねない。
5 製薬会社は,自分たちも偽の薬剤を売出してもいいはずだと強く言えるようになる。偽薬の砂糖粒を万能薬と称して売ればはるかに儲かる商売になるというのに,金のかかる新薬開発の手順を踏む必要があるだろうか。
サイモン・シン&エツァート・エルンスト 青木薫(訳) (2010). 代替医療のトリック 新潮社 pp.317-318
PR