たしかに多くの脳細胞は,限定的な働きにきわめて特化されているように見える。しかしながら,ニューロンを単純に類別できる——知覚と行動と認知それぞれの境界が越えられることはない——と思っている神経科学者は,もっとはるかに複雑なことをコードするニューロン活動,あるいはあえて大胆な言い方をすれば,脳がこれまで考えられていたよりもずっと「全体論的」に世界とかかわっていることを示唆するニューロン活動を,完全に見落としている(あるいは単なる偶然と切り捨てている)のかもしれない。ミラーニューロンはまさにそういう事例だった。パルマの研究者もみなそれぞれ優秀な科学者だったが,それでもやはり,運動ニューロンが同時に知覚ニューロンでもあるとは考えもしていなかった。これをよく言い表した古い名言がある——「科学の進展は葬式をひとつ経るごとになされる」。あまり縁起のよろしくない,かなり大げさな表現だが,誰でもご承知のとおり,古いパラダイムを捨て,まったく違った観点からものを見て,考え方を変えるのはとてもたいへんなことだ。これはなにも科学に限った話ではない。実際,パルマ大学の研究室で記録された「複雑な視覚反応」を理解するには当初,科学者たちはその世界で何十年も前から受け継がれてきた前提に異議を申し立てる心構えができていなかった。それらの前提をもとにして多くの生産的な研究がなされてきたのだし,これまでなされた発見はどれひとつとして,その前提に矛盾していなかったのである。
マルコ・イアコボーニ 塩原通緒(訳) (2009). ミラーニューロンの発見:「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 早川書房 pp.23-24
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