「イモ洗い」をするニホンザルの例を考えてみよう。この行動はある早熟の個体から始まって,やがて群れ全体に広まったと見られている。当初,これはサルが新しい行動を模倣できる証拠であると見なされたが,ついで,この行動は模倣学習の厳密な定義にあわないのではないかという反論が出された。より厳しい基準にしたがえば,模倣学習には自分の運動レパートリーになかった新しい動きを実行している他者を観察し,その観察によって新しい動きを学習することが必要になる。一方,サルの「イモ洗い」行動はこのような説明も可能となる。最初のサルがイモを洗っているあいだ,それを観察しているサルの注意は水に向けられる(この場合の水を強化刺激という)。そして次回,観察していたサルがイモを手にして水に近づき,水中でイモをいじくっているあいだに働いた単純な試行錯誤メカニズムが,サルにイモの洗い方を学習させたのではあるまいか。それなら模倣学習とは見なされない。模倣学習はもっと高位の学習方法なのである。イモ洗いの習慣が一般に予想されるほど急速に広まらなかったことを考えると,むしろこちらの保守的な説明のほうが正しいようにも思える。この事例や,類似のいくつかの事例から,動物の行動を研究する科学者のあいだではさまざまな意見が出されたが,いまのところ科学者の大多数はイモ洗いをニホンザルにおける模倣学習の強力な証拠だとは見なしていないと言っていいだろう。
マルコ・イアコボーニ 塩原通緒(訳) (2009). ミラーニューロンの発見:「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 早川書房 pp.55-56
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