結果が悪かったと知ることは,私たちがその結果をもたらした行動をどのように見るかに影響する。私たちは失敗を探そうとする傾向を強める。あるいは過失責任までも探そうとする。私たちは「許されるもの」として行動を見ようとしなくなる。結果が悪くなればなるほど,多くの失敗が目につき,関係者が説明しなければならない様々な事柄を発見する。それは以下の理由による。
・事故後,特に(患者の死亡や滑走路上での大破を伴うような)大事故後には,当事者がいつどこで失敗したのか,何をすべきであったのか,何を避けるべきであったのかを見つけるのは簡単である。
・後知恵を使って,重大だと判明したデータについて,当事者が「これに気づくべきであった」と判断することは容易である。
・後知恵を使って,人々が予見し防ぐべき被害をはっきりと見つけることは容易である。その被害はすでに起きているのだから。このため,人の行動は容易に「過失」の基準に到達する。
・後知恵で責任追及することは非生産的である。外科医同様,他の専門職も組織も悪い結果の説明を可能にする方法に力を入れるだろう。より官僚的になり,こまごました文書を作成し,防衛医療に走るだろう。このような対応は,実際に業務を安全にすることにはほとんど何も寄与しない。
・後知恵バイアスは心理学の定説であるにもかかわらず,インシデント・レポートも司法の手続きも(ともに説明責任に関係のあるシステムなのだが),後知恵バイアスに対して基本的には全く無防備である。
シドニー・デッカー 芳賀 繁(監訳) (2009). ヒューマンエラーは裁けるか—安全で公正な文化を築くには— 東京大学出版会 pp.114-115
(Dekker, S. (2008). Just Culture: Balancing Safety and Accountability. Farnham, UK: Ashgate Publishing.)
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