ジャン・ラスムッセンは,私たちが自分自身(もしくは検察官)に「どうして彼らはあんなにも不注意で無謀で,無責任になり得たのか?」と尋ねるのは,当該の人々が奇妙な振る舞いをしたためではないと指摘する。それは,彼らの行動を理解する際に,誤った枠組みを適用しているからである。人々の行動を理解し,その行動が適切だったかどうかを判断するために必要な枠組みとは,彼ら自身の通常の業務文脈である。なぜなら,その文脈の中に彼らははめ込まれているからだ。その視点から見れば,意思決定や判断は適切であり,正常で,日常的で,当たり前で,想定内のものとなる。もし人々がリスクを正しく見越していたかどうかを本当に知りたいならば,結果の知識や,後で重大であったことがはっきりとわかった一片のデータなしで,当時の彼らの目を通して世界を見るべきである。しかし,それはなかなか難しい。
シドニー・デッカー 芳賀 繁(監訳) (2009). ヒューマンエラーは裁けるか—安全で公正な文化を築くには— 東京大学出版会 pp.125
(Dekker, S. (2008). Just Culture: Balancing Safety and Accountability. Farnham, UK: Ashgate Publishing.)
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