しかし,ヒューマンエラーを犯罪として扱うことによって司法制度の根本的な目的が促進されるという根拠は何もない。そもそも裁判の根本的な目的とは,犯罪予防や懲罰を科すこと,更生させることであって,何が起こったかに対する「真実」を説明することでもなければ,「公正」を提供することでもない。
・実務者を逮捕し,判決を言い渡すことで,他の実務者がより注意深くなるという考え方は,おそらく見当違いである。実務者は,自分が何をしたかということを公にすることにより慎重になるだけである。
・犯人を更生させるという司法の目的は,この問題には適用できない。なぜならば,パイロットや看護師,航空管制官などはそもそも自分の仕事をただ行っていただけであるため,更生させられる余地はほとんどないと言えるからである。
・そもそも,その行動(調剤や離陸の許可)によって有罪判決を受けた専門家を更生させるためのプログラムがない。
裁判によるヒューマンエラーの犯罪化は税金の無駄使いであるばかりでなく(その税金は安全性向上のために使えたはず),司法システムが守ろうとしている社会の利益を損なうことになる。実際に,再発防止のためには別のアプローチのほうが,はるかに効果的である。
シドニー・デッカー 芳賀 繁(監訳) (2009). ヒューマンエラーは裁けるか—安全で公正な文化を築くには— 東京大学出版会 pp.166-167
(Dekker, S. (2008). Just Culture: Balancing Safety and Accountability. Farnham, UK: Ashgate Publishing.)
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