つまり,私たちの動機は,多くの証拠の中から都合の良いものを選ぶという気づかれにくいやり方をとおして,私たちの信念に影響を及ぼしているのである。そうしたやり方の中で,最も単純ではあるが,最も強力なもののひとつに,どんな証拠を捜すべきかについての質問そのものを利用する方法がある。私たちが何かを信じたいと考えたとき,関連する証拠にあたってみるわけであるが,その際,「どんな証拠がこの信念を支持するだろうか」と自問することになる。たとえば,「ケネディ大統領の暗殺はオズワルドの単独犯行ではない」という考えを信じたいと考えている場合には,「どんな証拠がCIAの陰謀説を支持するだろうか」と自問することになる。ここで,こうした質問それ自体が歪みを含んだものであることに注意していただきたい。こうした質問は,私たちの注意を肯定的な証拠に向けさせると同時に,自分が望む結論に反するような情報からは遠ざけるように働くからである。そしてほとんどの場合,質問を肯定する証拠が,少なくともいくつかは見つけられるものであるため,こうした質問を一方の側からだけすることによって,真実であって欲しいと思うことがらをたやすく正当化することができるのである。
T.ギロビッチ 守 一雄・守 秀子(訳) (1993). 人間この信じやすきもの—迷信・誤信はどうして生まれるか— 新曜社 pp.131-132
(Gilovich, T. (1991). How we know what isn’t so: The fallibility of human reason in everyday life. New York: Free Press.)
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