自分の健康に自分が責任を持つべきであるという全体論的健康法の主張は,いろいろに解釈できる面を持っており,その結果,良い面ばかりでなく悪い面もでてくる。すでに述べたように,この主張は,自分の健康を医者よりも患者自身がもっと健康に配慮した生活をし,医療サービスに対するより賢い「消費者」になるよう促すものであると言えるだろう。一方,個人個人が自分の健康に責任を持つべきであるという全体論の主張は,健全なる精神を持っていれば健康は増進されるはずだという信念を意味することもある。しかしながら,こうした信念の悪い面は,健全なる精神を持っていれば病気になるはずはないのであるから,必然的に,病気になるのはそうした健全なる精神を持たないからであるということになってしまうことである。そこで,病人や障害者は,病気や障害という不幸を背負った原因が本人にあると他人から責められることになり,自分自身をも責めることになってしまうのである。
T.ギロビッチ 守 一雄・守 秀子(訳) (1993). 人間この信じやすきもの—迷信・誤信はどうして生まれるか— 新曜社 pp.238-239
(Gilovich, T. (1991). How we know what isn’t so: The fallibility of human reason in everyday life. New York: Free Press.)
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