ここで無視することのできない,とくに重要な概念が「創発」である。
この用語が指す遺伝的形質は,驚いたことに家族には共通でない。例としては,リーダーシップ,さまざまなタイプの天才,ソシオパシーや境界性パーソナリティ障害といった精神病理学的症状などであろう。
こうしたことが起きる理由を理解することはそれほどむずかしくない。たとえば,優れたリーダーシップとビジョンをそなえた優秀なCEOと,10代の頃体操選手としてオリンピックで金メダルを取ったかわいらしい妻が,10人の子供がいる大家族を作ったとしよう。われわれは何を想像するだろうか?
子供たちは両親からそれぞれ半分ずつ遺伝子を受け継ぐが,どのような組み合わせになるかを前もって知ることはできない。
父親のビジネスの才とリーダーシップの一部が,VAL/VAL型のBDNF対立遺伝子がもたらす並外れた記憶力と,長い方のSERT遺伝子を2つ持ったLONG/LONG型の冷静さのおかげだとしよう(もちろん,他にも多くの遺伝子がかかわっているが,ここでは議論を簡単にするためにこうしたい)。幸運なBDNFとSERTの組み合わせのおかげもあって,彼は頭の回転が早く,何が起きても冷静でいられる。
一方,体操選手の妻は,短いSERTを2つ持っている(SHORT/SHORT型としよう)ために心配症で,しかしMET/MET型のBDNFのおかげで意外におっとりしたところもある性格でいられるとしよう。それでも彼女の記憶力が夫に遠くおよばないことは確実である。
これらの遺伝子に関して,父からVALとLONG,母からMETとSHORTを受け継ぐため,10人の子供たちが両親とまったく同じ組み合わせをもつ可能性はない。こうしたわずかなちがいだけで,両親の成功を,あるいは,別の状況であれば失敗を,再現しなくなる可能性は十分ある。しかも,ここで考えたのはたった4つの遺伝子だけなのにである!
人格に本質的な差をもたらす,まだ知られていない多くの遺伝子数は,200だろうか?2000だろうか?さらには,まだほとんど解明されていないが,ジャンクDNAに隠された制御情報も忘れてはいけない。人格に関係するゲノムをまったく同じ組み合わせで両親から子どもへわたすことはまずできない。
バーバラ・オークレイ 酒井武志(訳) (2009). 悪の遺伝子:ヒトはいつ天使から悪魔に変わるのか イースト・プレス pp.146-147
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