さらに毛沢東は,影響力のあるアメリカ人ジャーナリストで「サタデー・イブニング・ポスト」紙や「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙に寄稿しているエドガー・スノーに目をつけ,西側諸国を魅了しようとした。スノーは毛沢東のでっち上げをそっくり信じ込み,毛沢東と党の指導者らを「率直で,純粋で,信用できる」と評していた。
ジャーナリストを取り込もうとする毛沢東のキャンペーンは,スノーと毛沢東に長期にわたって利益をもたらした。他の著名人らも毛沢東と彼の政権をたたえた。ハーヴァード大学教授,ジョン・K・フェアバンクは中国から戻るとこう述べた。「毛沢東主義の革命は,概して,中国の長い歴史の中でも人民にとって最高のできごとである」。女権拡張運動の哲学者,シモーヌ・ド・ボーボワールは,毛沢東政権の殺人を養護した。「彼が行使する権力は,たとえばローズヴェルトの政権より独裁的ということはない」。その配偶者であるジャン=ポール・サルトルは毛沢東の「革命的暴力」を賛美し,「きわめて教訓的である」とい断言した。
しかし毛沢東と共産党はますます巧みに新聞を騙すようになり,自体は予想もしない方向へ進んだ。国民党は共産党よりはるかに自由な報道を許していたため,公然と不満を述べ議論することが可能で,民衆の目には国民党の残虐行為と失敗が拡大されて見えた。共産党陣営からの,注意深くコントロールされた肯定的な報道との対比に,多くの人々は,どちらも悪いにせよ共産党がましであるという結論を出したのだ。ある国民党の幹部は,共産党支配の恐怖を目の当たりにして強固な半共産主義者となった1人だったが,上海の近くの寧波に行ったとき,人びとは彼を拒絶し,意見を聞こうとはしなかった。「わたしは訪問者すべてと話をした。舌が乾き唇がひび割れるまで……共産党の無法者の無慈悲で獣のような行いについて語った……しかし彼らを目覚めさせることはできず,敵意をかき立てただけだった」
バーバラ・オークレイ 酒井武志(訳) (2009). 悪の遺伝子:ヒトはいつ天使から悪魔に変わるのか イースト・プレス pp.263-264
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