では,嘘の話に戻ろう。嘘を見抜くのが,ある種の技術だとしよう。技術を習得し,向上させるのは練習である。私はゴルフをしたかったので,練習をした。とはいえ,日常生活において,どうしたら嘘を見抜く練習ができるだろう?会話の一言一句に注意を払って,それが真実かどうか見きわめるというのは,ひとつのやり方かもしれない。だが,あなたの判断が正しいかどうかは別問題だ。会話を交わした相手に,嘘をついたかどうかいちいち尋ねることもできないではないが,相手はさらに嘘を重ねるかもしれないし,第一,そんなことをしていれば,友人ができなくなるにちがいない。要するに,相手が嘘をついていると疑うことはできるが,その疑いを確かめることは,まず絶対にできない。それは,暗闇でゴルフの練習をするようなものだ。いくらボールを打ったところで,どこへ飛んでいったのか見えないから,うまく打てているのかどうかまるでわからない。嘘つきを見つけようとして,いくら疑ってみたところで,自分が正しいかどうか知ることは,まず例外なく不可能だ。したがって,私たちは嘘を見抜く技術を向上させることはできない。念のためにいえば,FBI捜査官や刑事といった嘘を発見することについてそれなりの情報を持っているとされる人々でさえ,みごとな手腕を発揮しているとはいえないのだ。
ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.43-44
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