子どもが嘘へと導かれるもひとつの道筋は,大人が見本を示し,明白な指示をすることによるものだ。それがどのようにして起こるのかを理解するために,あんたが前述の作者の前で絵の評価を求められた子どもの親であると想像してみてほしい。目の前で,幼稚園児のわが子が何枚かの絵を評価するように指示される。絵の作者がその場に同席する場合もある。絵を描いた本人を目の前にして,わが子がその絵を気に入らないのが見てとれるとき,あなたはわが子に正直に感想を述べてほしいだろうか?それとも,礼儀をわきまえ,本心を隠してお世辞をいってほしいだろうか?
わが子には正直かつ礼儀正しくふるまってほしいので,これはむずかしい問題だ。だが,この2つの美徳はしばしば衝突する。幼い子どもにとって,嘘をつくことが「求められる」状況の微妙なニュアンスを理解するのは容易ではない。就学前の子どもは,祖母が焼いたばかりのクッキーを食べてしまったのに,食べていないと嘘をついて怒られ,その後で,祖母からもらった手編みのセーターが気に入らないと正直に答えて,またしても怒られれば,どうしていいかわからなくなるだろう。そんな場合,たいていの子どもは両親の助けをかりて,「ささいな罪のない嘘」のつき方を習得するわけだが,これはつまり,他人を欺く方法を身につけたということだ。すなわち実際には,私たちが子どもに教えていることとはうらはらに,「怒られる嘘」とそれとは逆に「求められる嘘」があるのだ。
ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.79-80
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