さらに,子どもの嘘について評価するときに忘れてならないのは,道徳的な問題はさておき,一定の段階に到達したということである。道徳という概念,すなわち正邪の概念は,「心の理論」を超えたあらゆる思考にからんでおり,多くの子どもはまだ習得していない。子どもは「悪いこと」を理解するための認知的スキルよりも先に,嘘をつくための認知的スキルを獲得する。彼らの多くにとって,嘘をつくことは,「心の理論」の発達をうながす活動である「ごっこ遊び」と非常によく似ている。嘘をつくことは「ごっこ遊び」とはちがって非難されるのだと,彼らはすぐに学ぶ。だが,すでに見たように,彼らはまた,嘘をつくことはいけないことだが,それが必要とされる場合もあるのだとも学ぶ。
それどころか,ある種の発達障害を抱えている子どもにとっては,嘘をつけないのはその障害の症状のひとつだとみなされる。典型的な例は,言葉の遅れがあったり他人の感情を認識して対応することが困難だったりする,自閉症の場合である。
自閉症の子をもつ親は,うちの子はぜんぜん嘘がつけませんということが多い。完全なる正直というのはすばらしいことのように思えるかもしれないが,じつは自閉症の子どもにとっては,それが対人関係を困難にする重大要素となっている。たとえば,「ふり」をする遊びを必要とするゲームができないのだ。自閉症の子どもは,他人には他人の考えや感情があるのだと理解する「心の理論」が欠けていると考えられている。嘘をつくためには,2つの異なる見方が同時に存在しうることを理解しなければならない。事実(たとえば,「ぼくがランプを壊した」)と,まちがった見方(たとえば,「だれかがランプを壊した」)だ。自閉症の子どもは間違った見方を理解できないばかりでなく,他人の見方が自分の見方とちがうのだということを理解できないかもしれない。複数の見方があることを理解できないことから,自分の心にある考え(「ぼくがランプを壊した」)はすべての人にとって明白なのだと,彼らには感じられる。
これはじつに皮肉な状況だ。自閉症の子どもが嘘をつかないのは,障害がもたらす症状とみなされている。その結果,もともとは正直そのものだった自閉症の子どもが,うまく嘘をつけるようになると,それは症状が改善したからだと考えられる。正直は善であり嘘は悪であるという考えは,ここでも否定されているのだ。
ロバート・フェルドマン 古草秀子(訳) (2010). なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか:嘘とだましの心理学 講談社 pp.83-84
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