彼らの小社会では,ノリながらやるのであれば,何でも許されるが,「みんなから浮いて」しまったら,何をやっても許されない。中学生たちはその場その場のみんなのノリをおそれ,かしこみ,うやまい,大騒ぎをしながら生きている。
いじめで人が死んだり自殺したときですら,生徒たちは「かっこいい」と拍手喝采したり,堂々と「遊んだだけよ」と言うことがある。「どうしていじめたのか」と尋ねられて,加害生徒が,「おもしろかったから」とか「遊んでいた」といったふうに答えることもある。このようなとき,彼らは「自分たちなり」の遊びとノリの秩序にしたがって,文字通り「おもしろい」からいじめている。
ここで「遊んだだけ」というときの遊びは,「自分たちなり」のノリの秩序に従いながら,ノリを次々と生み出す。このような秩序状態のもとでは,「みんな」の遊びに逆らうことは強烈なタブーである。また,遊びであればすべてが許される。
内藤朝雄 (2009). いじめの構造:なぜ人が怪物になるのか 講談社 pp.41
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