それに対して他者は,自己とは別の意思を有しており,独自の世界を生きている他者である。だからこそ,いじめ加害者は,他者の運命あるいは人間存在そのものを,自己の手のうちで思い通りにコントロールすることによって,全能のパワーを求める。思いどおりにならないはずの他者を,だからこそ,思いどおりにするのである。これを,他者コントロールによる全能と呼ぼう。
他者コントロールによる全能には,さまざまなタイプがある。いじめによるものは,そのうちのひとつだ。他者コントロールによる全能にふける人は,いじめと境界が曖昧な,近接したジャンルの他者コントロールに血道をあげていることもある。
たとえば,世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる。
こうしたケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって,思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに「する」ことが,好きでたまらない人たちがいる。
このタイプの情熱は,容易に,いじめに転化する。というよりも,しばしばいじめと区別がつかないようなしかたで存在している。いろいろ細かく世話をしたがる情熱を周囲にぷんぷん発散している人は,他人を思いどおりに世話するお好みの筋書きを外されると,悪口を言ったり,嫌がらせをしたりする側にまわるものである。
他人を自分が思い描いたイメージどおりに無理矢理変化させようと情熱を傾け,それを当人に拒否されたり,周囲から妨げられたりすると、「おまえが思いどおりにならないせいで,わたしの世界が壊れてしまったではないか」という憎しみでいっぱいになる。「わたしの世界を台無しにしたお前が悪い。そういうお前を,台なしにしてやる」というわけである。この思いどおりにならない者への復習もまた、しばしば教育や世話の名のもとに行われる。
内藤朝雄 (2009). いじめの構造:なぜ人が怪物になるのか 講談社 pp.76-77
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