社会の一般常識として,マスコミとは「国民の知る権利」に奉仕する「公」のもので,権力者や企業からコントロールされない中立な言論機関である,と学校で習う。だが,それは教科書的な理想論であって,現実には国民の知る権利を阻害する場合もあるし,権力者や企業にコントロールされている場合も多々ある。
いや,なにもここでマスコミ批判をしようというわけではない。政治家に「国民の代表」という理想の姿があって,それとはかけ離れた現実の姿があるように,マスコミにも現実の姿があるというだけの話なのだ。
たとえば,マスコミがよく声高に叫ぶ「報道の自由」というものがある。法律で保障されているのだから,どんな強大な権力に対しても「ペンでの攻撃を緩めないぞ」と鼻息荒く訴えているが,「自由」ということは裏を返せば,「報道しない自由」もある。それもまた,保障されているのだ。
先ほど「氷山の一角」と形容したように,マスコミは取材したことをすべてみなさんにお伝えしているわけではない。たとえば新聞記者などは,紙面に出している情報など彼らの知っていることからすると1割にも満たない。取材したものを「報道の自由」だとすべて世の中にぶちまけていたら社会は混乱してしまうだろう。彼らはその目で見た事実を,その耳でたしかに聞いた発言を,あえて心の奥にしまい込んでいる。そんなマスコミの真ちゅうを察して,背中をそっと優しく押してやるのが,「情報」でメシを食う人々だ。
窪田順生 (2009). スピンドクター:“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 講談社 pp.35-36
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