ネットゲームはドラマチックに出来ている。ところどころで,感動的なシーンに遭遇する。複数の参加者が連帯感をバーチャルに共有できる。
「あなたがいないとだめだった!」「君に救ってもらえた!」「ありがとう!」
現実には友だちのいない引きこもりの男の子でも,人助けができる。女性ゲーマーを救えば,王子さまのような扱いを受ける。実生活ではありえない憧れの対象になれるのだ。だからオフ会で人の目を見られない内気な人でも,ゲームに入れば水を得た魚になる。
「ゲーム上だと,強くなればみんなモテる。強くなるにはどうすればいいのか。実は,より引きこもりになると,強くなれるんですね。1日中,敵を打っているとゲームに強くなる。でも寝ないで戦っていると,会社の仕事に支障が出る。私がいたIT企業でも社員の遅刻がひどかった。仕事をしているかと思えば,ゲームで遊んでいる。それでクビになった社員もいます。実生活では信用を失いモテなくなる。なんだよ,こっちの側(リアル)の女はみんな冷たくしやがって。でも,俺はそっちの側(ゲーム)ではモテモテなんだぜ!みたいな引きこもりサイクルが働く。モテるには引きこもるしかない。そうなるとゲームに居場所を求める悪循環に入っていくわけです」
ゲーム内の自己(キャラクター)に依存すると,現実の価値はどんどん意味を失っていくのだ。
芦崎 治 (2009). ネトゲ廃人 リーダーズノート pp.25-26
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