実はこれに関連して,トゥービイとコスミデスがいくつかの主張を展開している。第1に,人間をはじめどの生物集団においても,質の異なる心的メカニズムをもった個体が含まれることは考えられない。なぜならメカニズムは,最終的に複雑なデザインを作り出すために協力して働く何ダースもの遺伝子の組み合わせからできているからだ。たとえば,あなたがネガティブ情動システムをひとつしかもたず,それを環境のなかのあらゆる種類の脅威を避けるのに使っていたとする。一方,私のほうはそのシステムを2つもっている。ひとつは人々からの脅威を検知するためにデザインされ,もうひとつは完全に別個の脳の領域を使って,無生物環境からの脅威を検知するためにデザインされたシステムである。ひとつのシステムからなるデザインも,2つのシステムからなるデザインも,ともにきわめて理にかなっており,どちらかが他のものよりよりよいというアプリオリな理由はない。ここで,この2つのタイプが両方含まれている集団を考えてみよう。私たちは赤ん坊を作るたびに,父親と母親の遺伝子パックを混ぜあわせる。だが,前述の集団の中の不運な子供たちは,2つの別個の脅威検知システムを作るのに必要な遺伝子材料のおよそ半分と,単一の統一システムを作るのに必要な材料のおよそ半分をもつことになるかもしれない。おいしいスフレを作る食材の半分と,おいしいチキンカレーを作る食材の半分を用意して,出来上がるのはおいしいスフレでもなければおいしいカレーでもない。どうしようもないごちゃ混ぜである。このことがもっとはっきりするのは,情動回路を作るための2つの完全な遺伝子体系を半分ずつもった場合である。どちらの遺伝子体系にしても,50パーセントだけでは100パーセントの場合ほどは働かないし,おそらく50パーセントほども機能しないだろう。いや,それどころかまったく役に立たないだろう。そうなると繁殖の際の選択は当然,種特異的な基本デザインに強く向かうことになる。つまり,自分と同じ基本的なタイプの青写真をもつ相手を選ぶのである。そうすれば,両親の2つのゲノムが赤ん坊のゲノムの中に複製されるとき,結果として出来上がる混合物はスフレでもカレーでもなく,機能をまるごと備えた統一体となるからだ。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.68-69
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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