ネガティブな情動とは何だろうか。このグループには恐怖,不安,恥,罪悪感,嫌悪感,悲哀がたがいに関連しあって含まれるが,どれも経験する者にとってきわめて不快である。思うにそうした不快感は,私たちにそれらの経験を避けるよう教えるためのデザイン特性なのであろう。ポジティブな情動が,私たちにとって良い事柄を探し出し,それを目指すためにデザインされているのだとすれば,ネガティブな情動は,祖先の環境で悪かったであろう事柄を感知し,それを避けるためにデザインされている。こうして私たちは恐怖を感じると,潜在的な危険を警戒し,その恐れのもととなった事柄に対して用心する。不安を感じれば,起こりうる問題や危険がないかと周囲の状況や自分の心を探る。嫌悪の感情は,私たちを有害なものや感染性のものから遠ざける。恥と罪悪感は複雑な情動だが,本質的には,ネガティブな結果を伴う行動へと向かう私たちを押しとどめる。では,最後の悲哀はどうか。悲しみというのは奇妙な情動であり,その機能はいまだに完全にはわかっていない。これを社会的信号と考える人々もいる。つまり自分にとって重要な他者に対して,「私はもうやっていけません。支えをください」と言っているというのである。その一方で,悲哀とはプランが失敗したときの省エネの退却だと見る一派もある。さらにまた,悲哀には認知の役割があるとする考えもある。暗く,ごまかしのない心との対話のなかで,私たちは挫かれた目標と過去の間違いを再評価し,未来のためによりよきプランを作るというのである。これらの説はいずれも正しいのかもしれない。確実に言えるのは,悲哀というネガティブな情動が,不安のように喚起されやすい別の感情と,多くの心理的機構を共有しているということである。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.119-120
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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