一見すると,誠実性は良いことばかりのようだ。それは,私たちが代償の大きいドラッグなどの依存症に陥るのを防ぎ,法律の内側にとどまるのを助ける。それは仕事の成功を助ける。それはまた長生きするのを助ける。それでは,誠実性が高ければ高いほどいいのだろうか。自然淘汰が誠実性の分布に働くとき,つねにこの特性の高い方向に向けて選択してきたのだろうか。
もうおわかりかもしれないが,私はこのようには見ない。第1に,誠実性の利点は現代の先進諸国の環境のなかで誇張されすぎているのだ。私たちの職場はきわめて人工的な生態環境となっている。かつて私たちの祖先が生き残って,子孫を残すことができたのは,1日8時間,同じ場所で,明確な規則や基準に従い,前もって計画された仕事なり繰り返しの仕事なりを,静かに続けていたからではなかった。現代の職場や学校で,私たちが長時間それだけをやって過ごすことになったのは,現代の世界における経済の異常な分化と専門家の結果にすぎない。
すでに見てきたように,誠実性とは,人が内にもっている基準やプランに固執することである。狩猟採集の生活を送っていた祖先たちにとっても,プランを作り,それが続行できるというのは,もちろん役に立ったはずだ。何年先に必要となるかわからないにせよ,注意深く,また慎重に道具作りの技を磨くのは,必要に迫られてその場にあるものをつかんで使うよりも有利だったろう。だが,誠実性がいきすぎた場合はまずいことになる。狩猟採集生活の多くは,予測不可能な出来事のために前もって計画するのは不可能だった。目の前を走り過ぎていくヌーの群れを見送りながら,「実は水曜日は蜂蜜集めの日なんでね」などと言うのは,けっして良い反応とは言えまい。狩猟採集者にとっての生活とは,今この瞬間に刺激に対する一連の緊急の即興演奏だった。それが通り過ぎる獲物の存在だろうと,通り過ぎる獲物がいないことだろうと,他者からの攻撃だろうと,何かが起こったとたん,それまでのプランをかなぐり捨て,すぐさま精力的かつ自発的に身体の反応を動員できた人たちが成功したのだった。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.156-157
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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