調和性の低い人がすべて道徳的に悪いわけではなく,必ずしも敵対的になるわけでもない。サイコパシーは,複雑な布置である。中核となるのは,共感の欠如のようだ。これはきわめて低い調和性のもつ特徴と一致する。だが犯罪性のサイコパスは,同時にまた,誠実性が低いという傾向がある。このことは,熟慮とコントロールがかなり欠けていることを意味する。さらにまた,彼らはしばしば不安とは無縁で,そのため恐れもなく自分の計画を推し進める。実は不道徳な,あるいは反社会的な行動を抑制する原因として,はっきりした3つの心理的要素がある。第1は他者への共感である。ひょっとしたらこれこそ最も重要な要素かもしれない。第2は熟慮である。目先の反応にとびつかず,行動の結果をじっくり考えるならば,とりあえず当面の報酬を見合わせ,先に据え置かれたもっと大きな報酬を手に入れたほうが,長期的にはうまくいきそうだと気づくことが多い。第3の要素は恐怖である。もい他のだれかをぺてんにかけたりだましたりすれば,見つけられて罰を受けるかもしれない。そのことへの恐怖が私たちを思いとどまらせるのである。
これら3つの抑制要素は,それぞれがいずれかのビッグファイブ・パーソナリティ次元の低極に対応する。調和性がきわめて低い人は共感を欠くが,それでも熟慮もしくは恐怖によって反社会的行動が抑制される。誠実性が低い人は熟慮を欠くが,共感もしくは恐怖が彼を抑制するかもしれない。神経質傾向が低い人は恐怖をもたないかもしれないが,共感と熟慮によって抑制されるかもしれない。この三者構成システムのおかげで,ありがたいことに,向社会的行動の確率が高くなっているのである。本物の冷たく残酷なサイコパス行動が出現するのは,3つの水門がすべて開いているとき——調和性と誠実性と神経質傾向の三者すべてがきわめて低いとき——だけである。たとえば50人に1人が,この3つの「オープン・ゲート」のひとつをもっていたとしても(ほぼ正確な推計である),ビッグファイブのスコアがたがいに独立していることを考えれば,本物の邪悪な人間になる危険があるのは12万5000人にひとりとなる。ありがたいことにこの数字は,現実の私たちの経験と一致している。ある人間が他の人間に責め苦を与えたり残酷に搾取したりすることがこれほどマスコミの関心を煽るのは,まさにそれがきわめて稀で,常軌を逸しているからなのだ。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.181-182
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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