したがって,私の謎解きはこうなる。すなわち,開放性の「真性な」パーソナリティ特性とは,境界のゆるい連想/異常体験の特徴群であり,現在使われている質問紙計測は,知能も引き出してしまう質問項目を含むことによって「汚染」されているのである。たとえば開放性についての質問紙の多くは,「私は豊かな語彙をもっている」に類した項目を含んでいる。回答者がこれを語彙の量についての質問だととれば,答が示すものは,知能と,おそらく教育であろう。だがもし回答者が,その質問を言葉の豊かさを聞いているのだと受け取り,もっている語彙を変わった,あるいは印象的な使い方で駆使できるかどうかを答えるとすれば,その結果はまさに私の言う「真性の」開放性を反映するだろう。同じように,開放性尺度には「私は複雑な考えを把握できる」というような項目が含まれる。もし質問が,「私は各連鎖反応がどのように起こるか理解できる」ならば,答としてたたき出されるのは主として知能だろう(少なくとも自己申告による知能だが)。一方もし質問が,「私は深遠な理念を理解できる」だったら,答が反映するものはまったく違ってくる。世の中には,問題—解決という点で恐るべき知性をもっているが,思索とか,まして神秘などといった非実際的な考えにはまったく関心のない人がいる。そうした人々は,知能は高いが,開放性は低いのである。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.209-210
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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