もちろん,そんなことはありえない。その200人は,ランダムにサンプルにしたイギリス人たちにくらべて,私の生活と似た生活を送り,似た対人関係をもっていることだろう。だが,彼らは私と同じではない。このことは,心理学者のダン・マカダムズの考えた理論に従って説明することができる。個々の人間のもつ特異性について,彼は3つの異なるレベルから考える。第1の層は,ビッグファイブ・パーソナリティ特性スコアである。すでに見てきたように,これらは初期の生物学的メカニズムによっておおむね固定されており,おおよその予測性を与える。第2のレベルは,特徴的行動パターンである。これはビッグファイブ・パーソナリティ特性の結果から生じるのもだが,1対1の対応ではない。たとえば,外向性のスコアの高い人のなかで,1人は北極探検家になり,別の1人はスカイダイビングに挑戦するかもしれない。さらにもう1人は,北極探検もスカイダイビングも試みるチャンスはなかったが,社会の中で活気ある顔(ペルソナ)を作り上げたかもしれない。要するに外向性ひとつとっても,多くの可能な行動表現の手段があるということであり,どれを採用するかは,個人個人の歴史,チャンス,そして選択によるということなのである。ただはっきり言えるのは,もしあなたの外向性のスコアが高ければ,少なくともそのうちのひとつを採用するだろうということだ。したがってイギリス国内に存在する200人のダニエル・ネトル・パーソナリティは,まず間違いなくもって生まれた正確のはけ口として,私とは違った特徴的行動パターンを採用しているだろう。そしておそらく,彼らがやっていることは私にも魅力的に映るであろう。だが多くの場合,私自身はけっしてしないか,考えすらしないことばかりだろう。
第3のレベルはなかでも最も特異なものであり,パーソナル・ライフストーリーと呼ばれる。これは,レベル2に関わる人生の客観的出来事ではなく,本人が自分がだれであるか,何をしているのか,なぜそれをやっているのかについて,自らに語る主観的ストーリーである。人間が物語を語る生物だというのは,疑う余地がない。私たちは全員,自らの物語を組み立てる。そしてどんな場合でも,それらの物語はたんなる客観的な行動を超えて,解釈,目的,意味,価値,そして目標へと入り込む。ここでもまた,1対多の対応がある。まったく同じ客観的出来事が無数の異なる物語へと解釈されうるのだ。キャリアでは成功しなかったものの,さまざまな経験をしてきた人間は,自分の物語を失敗と欠陥のそれとして語ることもあるだろうし,あるいはまた勝ち残り競争からの心楽しき逃走のそれとして語ることもありうる。結婚したことがない人は,自分の物語を悲劇として語ることもあれば,逆に喜劇として語ることもあるだろう。結婚というものをどのように見るかによって,すべては違ってくるのだ。例の200人のダニエル・ネトルたちもまた,たとえ全員が私と同じようなことをしてきたとしても,それぞれが独自のやり方で自分のなし遂げてきたことを語るだろう。そしてこの独自の物語こそが,彼らのアイデンティティに少なからぬ影響をもつのである。
ダニエル・ネトル 竹内和世(訳) (2009). パーソナリティを科学する 白揚社 pp.249-251
(Nettle, D. (2007). Personality: What makes you the way you are. Oxford: Oxford University Press.)
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