名前が似ているので,強迫性障害(OCD)はもっとずっと軽い強迫性人格障害(OCPD)と混同されやすい。では,どこがちがうのか。簡単に言ってしまえば,強迫観念や強迫行為は不快ではあっても,変わった癖という程度のものだ。たとえばOCPDのひとは,いつか必要になるかもしれないと,つまらないものを取っておくかもしれない。だがOCDの患者は,自分でも必要ないとわかっているガラクタで足の踏み場もないほどにしてしまう。OCPDのひとは「木を見て森を見ない」困った傾向がある。典型的なのは,リストづくりに夢中になって細部にこだわるあまり,全体像が見えないという例だ。完全癖のせいで,かえってものごとを成しとげられない。OCPDの場合はまさに「最善」が「善の敵」になるのである。彼らはすべてを「すみずみまで完璧」にせずには気がすまず,充分に良いことでもめちゃくちゃにしてしまいがちだ。柔軟性がなく,融通がきかない。正しいやり方とは自分のやり方だと思っている。ひとにまかせることができない。この人格障害は男性に多く,女性の2倍もいるのはおもしろい。いっぽう,OCDでは男女に差がない。
もうひとつのOCDとOCPDの決定的なちがいは,OCPDのひとたちは頑迷で,こだわりに振りまわされていても,心からそんな自分を変えたいとは思っていないということだ。彼らは自分の行動が他人を悩ましているのに気づかないか,気づいても平気でいる。ところがOCDのひとたちは,強迫行為に喜びを感じるどころか,つらくてたまらないのだが,手を洗いつづけずにはいられない。OCPDのひとたちは洗ったり掃除したりするのを楽しみ,「みんなが自分くらい清潔にしていれば,すべてがうまくいくのに。うちの家族はほんとうにだらしがない」と考えている。彼らは1日が終わって帰宅したら,デスクのうえの鉛筆を全部,兵士のように整列させようと楽しみにしている。OCDのひとは,20回も掃除をしろというまちがったメッセージに振りまわされることを知っているから,帰宅するのが恐ろしくてしかたがない。OCPDのひととちがって,自分の行動がどれほど無意味か知っていて,恥ずかしがっており,心底から変えたいと考えている。OCDの患者ふたりの言葉を借りれば,「脳はめちゃくちゃになってしまった。わたしはどうしても逃れられない」のであり,「病院の窓に鍵がかかっていてよかった。さもなければ,飛びおりて決着をつけたにちがいない」という。
ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (1998). 不安でたまらない人たちへ 草思社 pp.24-25
(Schwartz, J. M. (1996). Brain Lock. New York: Harper Collins.)
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