僕は,2004年12月のスマトラ島沖地震の際に起きた出来事について質問する。あのとき,迫りくる津波を事前に察知して野生動物とともに高台へ避難した先住民族がいたが,報告を受けた科学者はその理由をなかなか説明できなかった。この出来事は人間に第六感があることを証明してはいないだろうか。そう尋ねながら,僕は否定の言葉を浴びせられるのを覚悟する。
「ぜひその件について証拠を調べてみたい。興味深い話かもしれない。もしそれが事実なら,さらに調査を重ねて本当の理由を特定しなければならない」
ドーキンスの度量の大きさは驚きだ。彼は厳密なやり方で科学的研究が行われることだけを求めている。この考えには,誰も異論を唱えることはできないだろう。
「津波が迫ったとき,野生動物は丘をめざすという証拠,第六感の確たる証拠を発見した者は名声を手にするだろう。素晴らしいことだと思う」ドーキンスは言う。
僕の耳は確かか?あのリチャード・ドーキンスが,超能力の証拠が見つかったら素晴らしいと言った。これはものすごいスクープだ。
いずれにしても,自分なりの実験が終わった今,僕は証拠を評価しなければならない。実験前に立てた仮説はこうだった。ドーキンスは理性的にあらざるものはすべて退け,心霊主義的な意見はどんなものも即座に叩きつぶす。だが実験の結果は,その仮説を支持していない。ドーキンスは予想よりずっとオープンな心の持ち主で,どうみても威嚇的でも攻撃的でもない。彼がサイキックに望んでいるのは,その能力の証拠を示すことだけ。彼らにそれができれば,目に見えない力を信じることは理性的だと公言することが許される。彼らの特殊な能力は人生のガイドとして役立ちうると主張することも許される。証拠さえあれば,ドーキンスは必ずや「改宗」するだろう。
ウィリアム・リトル 服部真琴(訳) (2010). サイキック・ツーリスト:霊能者・超能力者・占い師のみなさん,未来が見えるって本当ですか? 阪急コミュニケーションズ pp.235-236
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