新生児の脳が正しい回路パターンを形成するには刺激が必要だということには異論がない。しかしこの「刺激」が何を意味するかについては,辛らつな,少々政治的な議論がある。
多くの神経科学者にとって刺激とは,ふつうの知覚をもった赤ちゃんが毎日の暮らしのなかで受け取る刺激以上のことを意味してはいない。見て,聞いて,味わい,触れ,嗅ぐということだ。
深刻な育児放棄で生後1年以上もベビーベッドに寝かされっぱなしという子どもには発達異常が起こるという報告はたくさんある。3歳になっても歩けない子どもも多いし,21か月でお座りができない子もいる。
だが刺激,とくに認知機能に訴える刺激を増やせば脳の回線が改善されるかということになると,議論は白熱する。まだハイハイもしていない赤ちゃんをミニ・アインシュタインに育てると約束して,教育熱心な親にビデオを売りつけ,いつもモーツァルトの音楽を流しておきなさいと勧め,食事の時には必ずフォークとスプーンで算数をやらせないとチャンスを逃すと脅す。こういうやり方では,「刺激」という言葉が泣くだろう。
ヒトの脳の発達には,ある程度の刺激が欠かせないことは明らかだ。だが,たぶん赤ちゃんが積極的にまわりの世界を探求し,いないいないばあやかくれんぼをし,話したり聞いたりして親と交流していれば充分なはずだ。
ジェフリー・M・シュウォーツ 吉田利子(訳) (2004). 心が脳を変える サンマーク出版 pp.134
(Schwartz, J. M. (2002). The Mind and The Brain. New York: Harper Collins.)
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