コーヒーの学術名はコフィア・アラビカというが,もともとコーヒーの木はエチオピアの丘陵地に自生していた。その名が知られるようになったのは,15世紀にイエメンで栽培されるようになってからである。伝説によると,昔,エチオピア南西部のカッファ地方に住んでいたカルディという名のヤギ飼いが,コーヒー豆の不思議な力を発見した。ある昼下がり,放し飼いにしていたヤギの群れを集めに行ったカルディは,ヤギが異常に興奮しているのを見て驚いた。ヤギたちは跳ね回り,角をぶつけ合い,家に帰ろうとしなかった。カルディは,ヤギが食べていた赤い木の実を口に入れてみて,すぐさまその理由がわかった。身体がぞくぞくするような快い感覚が舌から全身に広がったのだ。
コーヒーという名前は,コーヒーが発見されたカッファという地方の名前に由来すると唱える学者もいる。。このヤギ飼いがコーヒーを見つけた場所についても異論がある。ヤギの興奮状態がコーヒー発見につながったとするハインリヒ・エドワルド・ヤコブは,その著書『コーヒー,日用品の壮大な叙事詩』(Coffee: The Epic of a Commodity)で,熟したコーヒー豆の発見はイエメンのイスラムと関係があると主張している。
イエメンのシェホデト僧院の導師は,ヤギたちが奇妙な行動をしているとヤギ飼いが報告してきたので,さっそくその真偽を調べてみた。導師は,ヤギ飼いが「ヤギを魔法にかけた」という珍しい木の実の芯をあぶって,醸造してみた。ヤコブは書いている。「すると,ほんの少しも経たないうちに,このシェホデト僧院の導師はまるで魔法にかかったような気分になってしまった。導師は,いまだ経験したことのない不思議な陶酔状態に陥った。導師は熱心なイスラム教の信者なので,酒に酔った経験などまったくなかった。……ところがいま,身体の感覚はほとんどなくなり,心はいつになくいきいきと,愉快で,かつ冴えた状態となった。考えも頭に浮かぶだけでなく,はっきりと目に見える形をとった」。やがて導師は,真夜中の礼拝の前に,信心深いスーフィー教徒たちにこの黒くて苦い飲み物を飲ませるようになった。
一方,フランスの貿易商でコーヒーの仕入れにイエメンに航海したジァン・ド・ラ・ロックは,長い夜の祈祷の前にコーヒーを飲む儀式について,こう描写している。「コーヒーは赤い粘土で作られた器に入っていて,信者たちは導師の手から器を押しいただき,導師は器の中からコーヒーの液体をすくいあげて信者のコップに注ぐのだった」。
イエメン人たちはこのコーヒーを「クワハ」(k’hawah)——元気づけの飲み物——と呼んでいた。スーフィー教団の信者たちはこの黒ずんだ飲み物からワインを連想し,そしてワインのアラビア語の名前カフワ(qahwa)を,この飲み物にもつけた。トルコ人はコーヒーをカハヴェー(qahveh)と呼んだが,その後カウヴェないしコーヴェと発音されるようになり,それがフランス語のカフェ,英語のコフィー[日本語ではコーヒー]となった。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(上) NTT出版 pp.168-171
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