キリスト教もイスラム教も,普遍化に向かう衝動を秘めている。その根底にあるのは,彼らの信仰が人類の唯一の宗教になるべきだ,という考え方だ。しかし,キリスト教徒イスラム教には大きな違いがある。イスラム教にあってはいかなる種類の聖職者も,また布教を担う聖職者の組織も存在しないことだ。
交易商人に付き添ってイスラム教の法学者と説教者も海外に出て行ったが,布教のための組織,あるいは海外での布教の拠点は,カリフ制とは無関係の,まったく独立した存在だった。最初の数百年間のイスラム教の普及は,主として地中海世界と中央アジアにおける軍事的征服によるものだった。他方,アフリカと東南アジアでイスラム教が信者を獲得したのは,まわりを異教徒に囲まれた普通のイスラム教徒の布教活動によってであった。トマス・アーノルドがその古典的な研究で述べているように,イスラム教を最初に東ヨーロッパに持ち込んだのは,ビザンチン帝国に囚われていたイスラム法学者だった。
だが多くの場合,この信仰を遠くの地へ,より広範な地域へと伝えたのは交易商人だった。イスラム教の教義が単純であった——アッラー以外に神はなく,ムハンマドはその預言者である——こと,また信者が情熱をこめて信仰を実践したことは,イスラム教徒以外の人びとを感動させた。その教義は単純で神学的な複雑さを持たなかっただけでなく,イスラム教徒に課せられた義務もまた単純だった。すなわち,信仰告白をし,日に5回の祈りを捧げ,喜捨[ザカート。所有財産に対して一定率の支払いが課せられる。宗教的義務行為の一つ]をし,ラマダン月に断食をし,メッカに巡礼する,というものだ。14世紀の有名なモロッコの旅行家イブン・バトゥータは,メッカが「イスラム世界の年次総会」の場になった,と書いている。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(上) NTT出版 pp.251-252
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