公共工事による社会資本の整備は,総合的に見て良質かつ安全で,しかも安価なものとなるようにするために,いかなる入札・契約制度の下で,いかなる運用を行うのが適切なのか,という観点から考える必要があります。
会計法が定めている「最低の価格で入札した者が落札する」という建前も,「総合的に見て良質かつ安全で,安価な」調達を実現するという目的のための手段の1つに過ぎません。会計法上義務付けられている入札での価格競争を制限する行為が独禁法違反として禁止されるのも,同様に,目的実現の1つの手段に過ぎないはずです。
ところが,いつの間にか,会計法の原則を守ることと,価格競争に極端に偏った独禁法を遵守すること,すなわち「談合をやめさせること」が,自己目的化してしまい,それさえ達成すれば,あとはどうにでもなるというような単純な議論ばかりが幅を利かせてきました。
このような単純な「談合害悪論」の前に,従来のシステムは崩壊しようとしています。しかし,問題は,「談合を行うかやめるか」ではありません。それぞれの公共調達の特質に見合った方法で発注がなされ,「総合的に見て良質かつ安全で,安価な」調達が実現されることです。
郷原信郎 (2007). 「法令遵守」が日本を滅ぼす 新潮社 pp.53-54
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