このように,「偽装」「隠蔽」「改ざん」などという「不正行為」を意味する言葉は,いつの間にか拡大解釈され,明文化された法令に違反する行為と同等,あるいはそれ以上に,大きな批判の対象になるということが頻発しているのです。
旧来の日本の社会では,「遵守」の対象は「法令」でした。それが滅多に関わり合いにならない非日常的な世界だからこそ,たまたま関わったときには,何も考えないで,そのまま「遵守」していればよかったのです。社会内の多くのトラブルや揉め事は,「法令」ではなく,社会規範や倫理などに基づいて解決していたわけですが,そこでは,当事者や関係者がそれなりに自分の頭を使って,あるいは他人の知恵を借りて,話し合いをまとめるという努力をしてきたのです。それは「遵守」という態度では決してありませんでした。社会の中で「法令」が占める狭い領域だけが「遵守」の世界で,その周りの「社会的規範」が占める大きな領域では「遵守」という単純な姿勢はとられていなかったのです。
ところが,今の日本の社会では,「法令」の領域が「遵守」の世界のまま拡大し,しかも,その周りにある「社会的規範」の領域までが「遵守」の世界に侵されつつあります。こうして,日本中が「遵守」に席巻され,「控えおろう」の掛け声とともに,水戸黄門の印籠が,そこら中で,のべつ幕無しに出てくるという状況になっているのです。
郷原信郎 (2009). 思考停止社会:「遵守」に蝕まれる日本 講談社 pp.195-196
PR