630年,ムハンマドは約3万の兵を率い,ビザンチン帝国領土近くまで迫った。遠征はアカバ湾に至る500マイル(800キロ)におよび,ムハンマド軍は20日間にわたって陣を構え,キリスト教徒のアイラハ[イエメン北部]の皇太子に平和協定を結ぶように求めた。この協定は,イスラム帝国に忠誠を誓い,年貢を納めれば,キリスト教徒のような「経典の民」(アラビア語で「ズインミー」と呼ばれた)にもウンマの庇護が与えられるとし,信仰の自由も認められた。他宗教との共存を唱えるこの現実的な協定は,その後数世紀にわたり拡大を続けるイスラム帝国に,年貢という収入源をもたらした。また一部の研究者が言うように,アラーの大義のために殉教すれば,天国に召されるという教えは,初期のイスラム教において,異教徒に改宗を決意させる十分な動機となったかもしれない。そして,「文明が栄えた「肥沃な三日月地帯」では,人びとは快楽や贅沢な生活に心を奪われ,その欲望をいますぐにでも満たそうとした」。興味深いのは,史上初の帝国支配者となったアッカド王,サルゴンは,新たな領土を求めて遠征し,戦利品や貢物を手にすることに狂奔し,その約3000年後,イスラム帝国の創始者であるムハンマドもまた,サルゴンと何ら変わりがなかったことだ。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.17
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