チンギス・ハーンやその後継者たちは,成人男子や子どもたちを大量に殺戮し,大勢の女性を集めて性の奴隷としたことで,彼らの支配地域の遺伝子系統図に,その痕跡がはっきりと残ることになった。その影響力の大きさは,かつてのモンゴル帝国の支配下に住む人々を対象にした画期的な遺伝子研究によって明らかになった。この研究を実施した科学者チームは,チンギス・ハーンのY染色体が,アジアの大部分の地域に住む男子の8%のDNAに存在することを発見した。科学者たちは,このDNAの継承比率を世界全体に当てはめれば,約1600万人になると推定している。
強制移住もまた役割を果たした。遊牧民のモンゴル人は狩猟や牧畜以外の知識はまったくなく,そのため彼らは,征服した土地からあらゆる分野の専門家や技術者,職人を捕まえては利用した。歴史家のジャック・ウェザーフォードは,「モンゴル軍は通訳,書記,医者,天文学者,数学者などを駆り集め,彼らの一族に均等に分け与えた。音楽家,料理人,金細工職人,曲芸師,絵描きなども同じように分配された。帝国当局は,こうした職人を含めた知的労働者や動物,物品などをキャラバンや海路を経て,一族の各首長の住む地域に送り届けた」と書いている。たとえば,フビライ[チンギス・ハーンの孫,元帝国の初代皇帝,1215-94年]はペルシャ人の通訳や医者とともに,約1万人のロシア兵を帝国に呼び集め,今日の北京の北に定住させた。ロシア人兵は1世紀近くも居留民として定着していたが,その後,彼らに関する記録は中国の公式文献から姿を消している。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.26
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