皮肉にも,モンゴル軍が交易の主役となると,中国とヨーロッパの商取引はさらに弾みがつき,やがてヨーロッパにルネサンスが開花する環境が整えられていった。「パックス・モンゴリカ」(モンゴルによる平和)は,罪なき人びとの命を奪う悲惨な代価を強いたが,その一方で,世界をさらに強く結びつけた。当時の人びとは,帝国の破壊行為や身の不運,恐怖を味わっただけかもしれない。だが,フランスのモンゴル史研究者は,「後世の人びとにとって,世界帝国が残した優れた遺産は十分な利用価値があり,多様な民族文化の交流は豊かな果実を生んだ」「おそらく,この豊かな果実は,以降数世紀にわたり,ヨーロッパの拡大,予期せぬ成長をもたらすきわめて重要な歴史的要素となった」と書いている。モンゴルの交易商人は中国の陶磁器をペルシャに紹介し,中国にはペルシャのコバルトを持ち帰った。景徳鎮などに代表される青白(花)磁の陶磁器はこうして誕生し,コバルトから生まれた青は,中国語で「回回青」(回教徒の青)と呼ばれるようになった。蒙古馬の毛から作られた弦楽器の弓や,ズボン,真新しい食べ物など,モンゴル帝国の影響は,ヨーロッパ人の生活の隅々にまでおよんだ。「万歳(フラー)」というモンゴル語の歓声は,ヨーロッパでもそのまま使われ,人びとが気勢をあげる感嘆語として広まった。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.43-44
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