大英帝国は,アマゾンに自生するある植物を世界に紹介し,産業の歴史を書き換えた。それは,アメリカ先住民がカウチュク——フランス語でも同じ綴り,発音——と呼んでいた植物で,その植物からは天然ゴムの原材料となる白い乳液(ラテックス)が採れ,彼らはその乳液をブーツの防水加工に使ったり,ゴムまりなどを作っていた。1755年,ポルトガルの国王ジョゼ1世[ドン・ジョゼ1世]は,王宮で使っていた何足かのブーツをブラジルに送り,ラテックスを塗らせた。このとき実験のためヨーロッパに送り返されたラテックスは,19世紀初め,ゴムのレインコートの発明で一躍世界に知られるようになった。このレインコートの商品名「マッキントッシュ」は,ゴムと布地の防水加工技術を開発したスコットランドの科学者チャールズ・マッキントッシュにちなんでつけられた。アメリカ先住民の生活の知恵から生まれた天然ゴムは,やがて自動車革命の原動力として重要な役割を演じることになった。
ゴムの需要が急上昇すると大英帝国も黙ってはいなかった。1876年,政府やブラジルに住むイギリス市民たちの要望を受け,ヘンリー・アレキサンダー・ウィッカムという人物が,7万個のゴムの木の種を不法にイギリス国内に持ち込んだ。ロンドン南西部のキューにある王立植物園の植物学者たちが,苗木の栽培に成功し,その苗木は熱帯地方のイギリス植民地,マレーシアとセイロンに送られた。アメリカ・フォード社の大衆車「モデルT」の組立生産体制がフル回転し始めると,タイヤも大量生産され,いわゆる「白金(ホワイト・ゴールド)」ラッシュがマレーシアを席捲し,広大な土地がゴム・プランテーションになった。1924年には,フォード社の生産台数は1000万台に達し,当時「マラヤ」と呼ばれたゴムの輸出量は,世界の総生産量の半分以上に相当する年20万トンを超えた。この間,約120万人のインド人契約労働者がマレーシアに移り住み,同国の人口構成を将来にわたりガラリと変えた。現在のマレーシアは,人工の10パーセントがインド系で,その多くは,こうしたゴム園労働者の子孫だ。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.50-51
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