奴隷貿易がもたらした富は,ハーバード,エール,ブラウンなど世界で名だたる名門大学の創設に貢献した。ブラウン大学のホームタウン,プロヴィデンス(米ロードアイランド州の州都)の奴隷商人は毛織物業や製鉄業にかかわり,大学創始者一族のモーゼス・ブラウンは綿織物産業の発展に重要な役割を果たした。反奴隷制度運動の指導者でもあったブラウンは,1790年,イギリス人移民のサミュエル・スレーターに資金提供し,プロヴィデンス近郊のポータケットにアメリカ初の紡績工場を建設した。当時,イギリスは自国技術の海外流出を禁じており,スレーターは紡績機の設計図を空で覚えアメリカに渡った。
イギリスほど奴隷制度の恩恵を受けた国はなかった。1662年から1807年の約1世紀半の間に,イギリス船団がアフリカからアメリカに送り込んだ奴隷の数は,全体のほぼ半数にあたる約340万人に上った。奴隷貿易の最盛期にはイギリスは世界でも比類のない奴隷輸出国になっていた。イギリスの産業は植民地に奴隷を売ることで繁栄し,奴隷が作った製品を売ることで莫大な利益を上げた。イギリスは国をあげてアフリカ人奴隷の恩恵に浴した。イギリスが奴隷制度廃止に転じるのは1834年だが,その頃にはすでにイギリスは世界の大国として台頭する土台作りを終えていた。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.84
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