歴史家オーレ・ベネディクトウは, 当時のヨーロッパの推定人口8000万人のうち約60パーセント,5000万人あまりがペストかそれに関連する病気で死んだと結論づけた。当時の記録は,腐敗のすすむ遺体の山を集めることも,ましてや埋葬することもできなかったと伝えている。イタリアのフィレンツェのような人口10万人の都市では,毎日400人から1000人の市民が死んだ。1347年から1722年までの375年間,ペストは撲滅が確認されるまで周期的にヨーロッパで猛威をふるい,ある時期には世界貿易がほとんどマヒ状態になった。もしこの頃グローバリゼーションという言葉が知られていたら,人びとは「死」と同じ意味で使っていただろう。
しかし,ヨーロッパの人口減少は,社会経済構造や医療の変革を促し,やがて世界の歴史に残る転換点となった。ヨーロッパ社会が受けた壊滅的なダメージは,それまで商人たちが交易によって築いてきた相互接続社会の特性を引き出すことになった。人口の半減,あるいはそれ以上の死によって生き残った人びとの個人資産は急増し,土地や財産,金,銀を相続したにわか金持ちたちは,先を争って贅沢品を買い求め,シルクや香辛料の供給者やアラブ,ヴェネチアの仲介業者に富をもたらした。熱に浮かされたような彼らの贅沢品漁りは歴史家たちが「15世紀の地金大飢饉」と呼ぶ現象を生み,深刻な硬貨不足から,1516年にはドイツの町,ヨアヒムスタールで「前代未聞の銀探し」騒動が起きた。この町の造幣所で鋳造された銀貨は「ヨアヒムスターラー」と呼ばれたが,その後「ターラー」と略され,いまわれわれが使っている「ダラー」の語源となった。しかしその一方で,すでに見てきたように,ヴェネチア,アラブの仲介業者が香辛料貿易の独占を図ったことから,ヨーロッパの交易商たちは新たなアジア航路探しを強いられるようになった。ヨーロッパで高まる需要に追い打ちをかけるように,黒死病は多くの点で,消費社会を形作る新たな原動力を生むきっかけとなった。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.92-93
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