スペイン風邪の死亡率は2.5パーセントだったが,SARSはその4倍に上り,患者の1割が死亡した。世界各国が連携した検疫体制や予防措置によりSARSの感染拡大は食い止められたが,それでも30ヵ国で813人が死亡し,香港と中国本土が最大の被害エリアとなった。WHOは旅行中止勧告こそ出さなかったが,科学の進歩や医学的監視体制,ウイルスと戦う世界の研究者たちの真摯な協力関係がなければ,SARSは,1918年のスペインかぜどころではなく,格段の速さと飛距離で世界中に蔓延していたかもしれない。ウイルスは中国の人口12億人の20パーセントに感染し,そのうち1億200万人が死ぬ恐れがあった。1918年頃の世界の旅行者はまだごく少数だったが,2003年には約16億人が航空機を利用し,その3分の1はあらゆる種類のウイルスとともにいくつもの国境を越えた。アトランタからバンクーヴァー,シンガポールまで,ネットワークで結ばれた研究所で働く科学者たちは,瞬く間に世界各地に広がるウイルスと競争しながら,ウイルスのゲノム(遺伝子情報)解読の取り組みを強化し,わずか1ヵ月で驚異の離れ業をやってみせた。グローバリゼーションは,ウイルスにジェット機並みのスピードを与えただけでなく,対抗手段の迅速化にも大いに役立った。
ナヤン・チャンダ 友田錫・滝上広水(訳) (2009). グローバリゼーション:人類5万年のドラマ(下) NTT出版 pp.99-100
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