まったくの話,自分の意見に反対する情報をきちんと読んでさえ,私は正しいとの思いこみは深まる一方だ。ある実験で,死刑に反対あるいは賛成の人々を選び,優れた学術記事を2本,読んでもらう。死刑によって凶悪犯罪が防げるかという,感情論になりがちなテーマの記事で,一方は抑止できる,もう一方は抑止できないと結論づけていた。被験者が感情を理性的に処理しているならば,少なくとも,これはなかなか複雑な問題だと気がつき,相手の節にほんの少しでも歩み寄るはずだ。しかし不協和理論の予想では,被験者は記事を歪曲する道を探すはずだった。自分と同じ意見の記事をひしと抱きしめ,素晴らしい出来だと賞賛する。もうひとつの相容れない記事は手厳しく批判し,小さな不備を騒ぎたて,だからこんな記事に左右される必要はないという。事実,このとおりになったのである。どちらも相手方の記事を信用できないとし,自分の意見にますます固執した。
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.31
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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