偏見は,情報をカテゴリーに分けて知覚し処理しようとする人間の性向から生まれてくる。「カテゴリー」というのは「ステレオタイプ」より上等で中立的な呼び名だが,実際にはふたつは同じものだ。認知心理学者によれば,ステレオタイプ,つまり物事を単純化し類型化して考えるのは一種のエネルギー節約法で,このおかげで私たちは過去の経験をもとに効率的な判断を下したり,新しい情報を迅速に処理して記憶を消去したり,何かの集団同士の実質的な差異を意味づけたり,他人の行動や思考をある程度の精度で予測できたりする。私たちはステレオタイプと,ステレオタイプがもたらす情報をちゃっかり当てにして,危険を避けたり,友人になれそうな人物に近づいていったり,学校や職業を選びとったり,大勢の人がいる部屋の中であの人こそが運命の人だと決めたりするのである。
これはステレオタイプの優れた点だ。一方,欠点としては,ステレオタイプは目の前のカテゴリー内の差を均一化し,カテゴリー同士の差は過度に強調してしまう。共和党支持の洲(レッド・ステート)と民主党支持の州(ブルー・ステート)の州民は互いを共通点のない人間だと考えがちだが,カンザス州の多くの州民は学校で進化論を教えてほしいと願っているし,カリフォルニア州の多くの州民はゲイ同士の結婚を認めていない。私たちは自分と同じ性別や支持政党,人種,国籍の仲間については人それぞれと認めるのに,自分と異なるカテゴリーに属する人々についてはほんの数回出会った経験だけから一般論を引き出して,全部まとめて「彼ら」と呼んでしまいがちだ。こうした習慣はごく幼いうちから始まる。ステレオタイプとはどんなものかを長年研究している社会心理学者のマリリン・ブルーアーは,自分の娘が幼稚園から戻ると「男の子って泣き虫だから」と口をとがらせていたのを報告している。はじめての登園日に親恋しさから泣いてしまった男の子をふたり見たのが証拠だそうだ。ブルーアーはさすが科学者で,泣いた女の子はいなかったのかと訊ねた。「そりゃ,いたわよ」と少女。「でもほんの何人かだけ。私は泣かなかったもの」
キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン 戸根由紀恵(訳) (2009). なぜあの人はあやまちを認めないのか:言い訳と自己正当化の心理学 河出書房新社 pp.78-79
(Tavris, C. & Aronson, E. (2007). Mistakes Were Made (but not by me): Why We Justify Foolish Beliefs, Bad Decisions, and Hurtful Acts. Boston: Houghton Mifflin Harcourt.)
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